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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1730号 判決 1977年3月31日

控訴人 須藤きくよ

右訴訟代理人弁護士 古屋福丘

被控訴人 小林忠義

右訴訟代理人弁護士 笠井寿太郎

同 笠井治

右訴訟復代理人弁護士 佐藤博史

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金二五〇万円及び内金一二五万円に対する昭和四七年一一月二六日から、内金一二五万円に対する同年一二月八日から各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決を求める。

二  被控訴人

控訴棄却の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は左記のとおりの記載のある約束手形二通(以下「本件各手形」という。)を所持している。

(一) 金額 金一二五万円

支払期日 昭和四七年一一月二五日

支払地 東京都千代田区

支払場所 株式会社三井銀行八重洲口支店

振出日 昭和四七年九月九日

振出地 東京都中央区八重洲六丁目一番地

振出人 訴外有限会社小久保資材

受取人兼第一裏書人 被控訴人

第一被裏書人兼第二裏書人

訴外青柳敏彦

第二被裏書人兼第三裏書人

訴外青柳晴親

第三被裏書人 控訴人

(二) 金額 金一二五万円

支払期日 昭和四七年一二月五日

その他の記載事項 右(一)と同じ

2  控訴人は訴外甲府信用金庫に本件各手形の取立てを委任し、同信用金庫は右1(一)の手形を昭和四七年一一月二五日、同(二)の手形を同年一二月七日に支払場所に支払のため呈示した。

3(一)  被控訴人は、昭和四七年九月一九日手形要件の記載のある本件各手形に拒絶証書作成を免除して自ら裏書をなした。

(二) 仮に右裏書は被控訴人が自らなしたものではないとしても、訴外千代田康高(以下「訴外千代田」という。)が右同日被控訴人より権限を与えられて被控訴人の営業用記名印及び実印を用いてなしたものである。

(三) また仮に以上の主張が認められず、被控訴人主張のように、訴外千代田が当時被控訴人から訴外岩下隆行に対する売掛金約一八万円の取立てを委任され、領収証発行のため預託されていた営業用記名印等をほしいままに用いて本件各手形に被控訴人名義の裏書をなしたものであるとすれば、右裏書は与えられた権限の範囲を超えてなされたことになるが、訴外千代田からその頃訴外平田通(以下「訴外平田」という。)を介し本件各手形の交付をうけた訴外青柳敏彦(以下「訴外青柳」という。)は、右裏書が、被控訴人の住所、氏名、電話番号のほか商号(ミドリ商事)まで記された営業用ゴム印及び氏名の刻印された一見実印と思われる印鑑によってなされていたこと等から、被控訴人の意思に基づいて真正になされたものと信じたのであって、同訴外人が右のように信じたことには正当の理由があったものというべきである。したがって、被控訴人はその後同訴外人から本件各手形の裏書譲渡をうけた控訴人(手形面上両者の間に介在する訴外青柳晴親は実質的には訴外青柳の手形債務の保証の趣旨で裏書をなしたものにすぎない。)に対し、裏書人としての責任を負わなければならない。

また、訴外青柳について右主張の表見代理の成立が認められないとしても、控訴人は同訴外人から本件各手形を取得するにあたり、前記のような裏書の体裁及び同訴外人の説明等から右裏書の真正を信じ、かつそのように信ずるについて正当の理由があったものであるから、手形取引の実情とその安全保護の見地からいって、右信頼は保護されてしかるべきであり、被控訴人は控訴人に対し、前同様の責任を免れないと解すべきである。

(四) 以上の主張がいずれも理由がないとしても、被控訴人は、本訴係属中の昭和四九年一月及び二月に控訴人のもとを訪れ、裏書人としての責任を認めて債務を承認し、その減額を懇請したり、控訴人から融資をうけその融資金の一部をもって債務を弁済したい旨申し入れる等の行動に出ており、右によれば被控訴人は訴外千代田が無権限でなした前記裏書行為を追認したものというべきである。

4  よって、控訴人は被控訴人に対し、本件各手形金合計金二五〇万円と内金一二五万円に対する昭和四七年一一月二六日から、内金一二五万円に対する同年一二月八日から各完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1及び2は認める。

2  同3の(一)ないし(三)は否認する。本件各手形になされている被控訴人名義の裏書は、被控訴人が昭和四七年九月一九日頃訴外千代田に訴外岩下隆行に対する売掛金約一八万円の取立てを委任し、領収証発行のため被控訴人の記名用ゴム印及び印鑑(実印ではない。)を預けていたところ、訴外千代田が他から割引をうけて自らの利益を図るため、ほしいままに右記名印等を用いてなした偽造のものである。そして、訴外千代田から本件各手形の交付をうけてこれを割引いたのは訴外平田であるところ、同訴外人は割引率が高率であったことなどから被控訴人名義の裏書の真正につき不審の念を抱いたはずであり、直ちに被控訴人に問い合わせるなどの調査確認をなすべきであったのにこれを怠ったのであるから、同訴外人には右裏書が真正であると信ずるにつき正当の理由はなかったというべきである。また、その後の手形取得者である訴外青柳については訴外平田との交友関係に照らし、控訴人については訴外青柳、同平田らが日頃から融通手形の操作を行っていることを十分知っていたこと等に照らし、いずれも取得にあたり悪意又は過失があったとみるべきである。

3  同3の(四)は否認する。被控訴人が本訴係属中控訴人に示談方を申し入れたことがあるのは事実であるが、それは本件債務を承認したわけではなく、訴訟上の対抗事由を留保しつつ紛争の円満な早期解決を図ろうとしたものにすぎない。

三  仮定抗弁

1  訴外青柳が本件各手形の割引をうけたのは控訴人の夫である訴外須藤袈裟嘉からであり、本来ならば同訴外人が訴外青柳から本件各手形の裏書譲渡をうけるべきところ、右両名が共謀して控訴人に訴訟をさせるためだけの目的で、訴外青柳から控訴人への裏書をなしたのであり、右裏書は信託法一一条に違反するものとして無効である。

2  控訴人は、昭和四七年一二月二七日訴外須藤袈裟嘉を代理人として、本件各手形の裏書人である訴外青柳の連帯保証人訴外深沢政啓との間で、本件各手形金合計金二五〇万円を含む控訴人の訴外青柳に対する一切の債権(なお、控訴人主張の公正証書記載の債権なるものは不存在架空のものである。)を金一〇〇〇万円と確定した上、内金五〇万円を免除し、右訴外深沢政啓から金九五〇万円の支払をうけた。したがって、控訴人は本件各手形につき既に満足を得ているものであり、右支払をうけた際本件各手形を返還しなかったことを奇貨として、更に被控訴人に対し裏書人としての責任を追及しようとするのは、手形上の権利の濫用であって許されない。

四  仮定抗弁に対する答弁

1  仮定抗弁1は否認する。

2  同2のうち、控訴人が昭和四七年一二月二七日訴外須藤袈裟嘉を代理人として訴外青柳の連帯保証人訴外深沢政啓から控訴人の訴外青柳に対する債権金一〇〇〇万円につき、金五〇万円を免除して金九五〇万円の支払をうけたことは認めるが、その余は否認する。右金一〇〇〇万円の債権は、控訴人が本件各手形の割引とは別途に昭和四七年八月二日から同年一一月二日までの間に貸付けた合計金一〇三二万円の内金につき同年一二月一三日作成した公正証書(乙第三号証)記載の債権であって、本件各手形金債権はその中に含まれていない。

第三証拠《省略》

理由

一  控訴人がその主張のとおりの記載のある本件各手形を所持していること(請求原因1)及び控訴人が訴外甲府信用金庫に本件各手形の取立てを委任し、同信用金庫がこれを各支払呈示期間内に支払場所に支払のため呈示したこと(同2)はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件各手形につき被控訴人に裏書人としての責任が認められるか否か(請求原因3)について判断する。

1  《証拠省略》を総合すれば、被控訴人はミドリ商事の商号で土産品の卸売業を営んでいるものであるが、昭和四七年九月半ば頃従業員の訴外千代田に訴外岩下隆行に対する貴石画の売掛金約一八万円の取立てを委任し、その領収証発行のため営業用の記名印(被控訴人の住所、氏名、電話番号及びミドリ商事なる商号が記されている。)及び印鑑(被控訴人の氏名が刻印されている。)を預託したこと、ところが訴外千代田は同月一九日頃かねて被控訴人の営業とは関係なく知人(振出人ではない。)から個人的に割引方を依頼されて所持していた本件各手形の第一裏書人欄に、他から割引をうけるため、ほしいままに右記名印等を用いて被控訴人の記名捺印を顕出させ、割引の斡施方を知人の訴外平田に依頼して本件各手形を預け、その頃訴外青柳が訴外平田から本件各手形を受取ったこと(なお、訴外千代田は訴外青柳から割引金の支払をうけていない。)、そして訴外青柳は直ちに本件各手形を利用して自己のため金融を得るべく、第二裏書人欄に裏書をし、保証の趣旨で第三裏書人欄に実父訴外青柳晴親の裏書を得た上、控訴人の代理人である夫の訴外須藤袈裟嘉に対し本件各手形を交付しその割引をうけたことを認めることができ(る。)《証拠判断省略》

右に認定したところによれば、控訴人の請求原因3(一)及び(二)の主張はいずれも採用できないことが明らかであり、本件各手形上になされた被控訴人名義の裏書は、訴外千代田がその権限がないのに自己の利益を図るため手形上に直接被控訴人の記名捺印をあらわしてなした偽造のものであるというべきであるが、一方訴外千代田が被控訴人から売掛金の取立て及びこれに伴う領収証発行の権限を付与されていたことは右に認定したとおりであるから、右裏書は右の権限の範囲を超えてなされたものということができる。

2  そこで、控訴人の表見代理の主張(請求原因3(三))について検討するに、一般に、本人から振出、裏書等の手形行為の権限を付与されていない他人が手形上に本人の代理人である旨を表示して自ら署名又は記名捺印するいわゆる代理方式により手形行為をなした場合には、一定の要件のもとに当然表見代理に関する規定の適用があるのであるから、第三者の信頼を保護しようとする表見代理の制度の趣旨に照らし実質的に考察すれば、本件におけるように無権限者が手形上に直接本人名義の記名捺印をあらわすいわゆる機関方式により偽造の手形行為をなした場合についても表見代理に関する規定を類推適用しうることを肯定し、第三者の保護を図るべきものと解するのが相当である。しかして、本件においては、訴外千代田が与えられた権限の範囲を超えて被控訴人名義の裏書をなしたものであること前叙のとおりであるから、右裏書の相手方である訴外青柳において、右裏書が、被控訴人自身によってなされたものか、権限のある代行者によってなされたものかはともかくとして、被控訴人の真意に基づき真正に成立したものであると信じ、かつそのように信ずるにつき正当の理由があったものとすれば、被控訴人は民法一一〇条の類推適用により同訴外人に対し裏書人としての責任を負うものというべきであり、このようにして訴外青柳に対する責任が肯定された場合には、被控訴人は、その後の手形取得者である控訴人に対しても、控訴人自身につき右同様の善意、無過失が認められるか否かにかかわらず裏書人としての責に任すべきこととなると解すべきである。

よって、訴外青柳について、右に述べた民法一一〇条を類推適用するための要件が充たされているか否かを検討するに、原審証人青柳敏彦の証言(第一回)によれば、訴外青柳は訴外平田を介し本件各手形の交付をうけるに際し、前記裏書が現実には何人の手によってなされたものであるか知らなかったことを認めることができるし、本件各手形に顕出されている被控訴人名義の記名捺印が被控訴人の住所、氏名、電話番号及びミドリ商事なる商号の記された営業用記名印と氏名の刻印された印鑑によってなされたものであることは先に認定したとおりであり(《証拠省略》によれば、被控訴人は日頃小切手の振出等に右印鑑を用いていたことが認められる。)、右裏書の体裁自体には何ら疑念を抱かせるところはなかったということができる。しかしながら右青柳敏彦の証言によれば、訴外青柳は、当時被控訴人、訴外千代田のいずれとも面識がなく、被控訴人とは直接はもとより訴外千代田やその他の者を介しても手形取引をしたことはなかったものであるのみならず、訴外青柳は、当時訴外平田と融通手形を交換するなど資金面で緊密な協力関係にあり、本件各手形も自己資金調達の手段に利用するためにその意図を知る同訴外人から交付をうけたもので、しかもその際に同訴外人は「他から割引をうけるについては将来被控訴人が手形上の責任を追及されることのないようにしてもらいたい、できれば被控訴人名義の裏書を消して融資をうけてほしい」という趣旨のことを告げ、被控訴人名義の裏書のあるままで右各手形を利用することにためらいを示した事実が認められる。《証拠判断省略》

右に認定した事実関係からすれば、訴外青柳としては、本件各手形になされた被控訴人名義の裏書の真否については当然何らかの疑念を抱いてしかるべきであったものというべく、しかも前叙のとおり裏書人欄に被控訴人の電話番号も記されていたのであるから、その気にさえなれば被控訴人に対し前記裏書の真否について問い合わせることも容易であったと思われるのに、前記青柳敏彦の証言によると、訴外青柳は、自己の営業資金を獲得することのみを急ぎ、右裏書の真否や、場合によっては被控訴人に累の及ぶことなどは全く意に介さず、右裏書のなされた事情についてより詳しい説明を訴外平田に求めることすらせず、まして被控訴人に対する問合わせなどの措置は何らとらなかった(訴外青柳の手形利用目的からみて、かかる措置がとられる筈もなかった)ことが認められる。これらの点を考えると、手形取引の安全保護の要請を考慮してもなお、訴外青柳において前記裏書が真正なものであると信ずるにつき正当の理由があったものとは認め難いというべきである(ちなみに、訴外平田に関しては、裏書の真否についての善意、無過失を認め難いこと上述したところから一層明白であるが、同訴外人は、前叙のとおり、訴外千代田からは割引の仲介者たる立場で本件各手形を預ったものにすぎない。)。

3  次に、控訴人は、訴外青柳において前記裏書の真正を信じ、かつそのように信ずるにつき正当の理由があったものと認められないとしても、その後の手形取得者である控訴人につき右の要件が充たされる場合には、被控訴人は控訴人に対し裏書人としての責任を負うべきであると主張するが、手形行為につき民法一一〇条の適用ないしは類推適用を考えるにあたっては、同条にいう「第三者」とは、同条の法意に照らし当該手形行為の直接の相手方のみをいい、その後の手形取得者(控訴人をもって実質上手形行為の直接の相手方とみるべき根拠は存しない。)はこれにあたらないものと解すべきである。そして、右の場合について一般の権利外観法理による保護を考えてみても、《証拠省略》を総合すれば、被控訴人は訴外千代田を前記土産品卸売業の従業員として使用していたが、従来同訴外人に手形の振出、裏書等を行わせたことはなく、前記記名印及び印鑑を預託したのは領収証発行のためであり、それも偶々都合で自ら集金ができなかったために一時的に預託しただけで、日頃から同訴外人に右印鑑等の使用を委ねていたわけではないこと、本件各手形は前記認定のとおり訴外千代田が知人から個人的に割引を依頼されたものであって、被控訴人自身はその入手にも全く関与しておらず、当時本件各手形の存在すら知らなかったことが認められるのであり、このような場合、右印鑑等を訴外千代田に預託した事実があるからといって、そのことを根拠に、被控訴人がその責に帰すべき事由により手形上の権利外観の作出に原因を与えたものであるとして、前記法理により第三取得者に対し責任を負わなければならないとの結論を導くのは、手形取引の動的安全の保護のみを重視するものであって妥当でないと解すべきである。よって控訴人の前記主張は、本件において控訴人につき善意、無過失が認められるか否かについて検討するまでもなく採用できないといわなければならない。

4  更に、控訴人は、被控訴人が本訴係属中に訴外千代田の前記裏書行為を追認した旨主張するけれども(請求原因3(四))、《証拠省略》を総合すれば、被控訴人は、昭和四八年末ないし昭和四九年初め頃、当時資金繰りに窮していたため、その所有不動産につき控訴人からなされた仮差押を解放してもらい、右不動産を担保に他から融資を得たいと考え、右融資が得られ、控訴人において請求金額を減額してくれるならば右融資金の一部をもって和解金を支払ってもよいとの申入れを控訴人の夫訴外須藤袈裟嘉に対してしたことが認められる(《証拠判断省略》)にとどまり、右認定事実をもっては被控訴人が訴外千代田の前記裏書行為を追認して本件各手形金債務を承認したものと認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  以上の次第であって、控訴人の請求原因3の主張はいずれもこれを認めることができないから、被控訴人の抗弁について判断するまでもなく、控訴人の本訴請求は理由のないものとして棄却を免れない。

よって、右と理由を異にするが控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山長 裁判官 三井哲夫 河本誠之)

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